意識低い系ですが、何か? VermilionSwan1988のブログ

外見はともかく、冴えない低収入の「Vermilion Swan 」が札幌での日常をつぶやきます!もとえ語ります!(笑)ちなみに趣味はネットサーフィンとボールペン集め(国内外の数百円から一万円以内)など

裁判員制度について記事を書くならば…

まあ裁判員制度に関する取材だから確率的に有罪となって収監された受刑者を取材する機会が多くなるのはいた仕方のないことなのかも知れない!
しかし裁判員制度は司法に「国民の感覚」などを取り入れて開かれた司法にする目的なのだから受刑者の取材もさることながら真に「裁判員制度に救われた」人々を取材してほしかったと思う!
それは言うまでもなく「裁判員裁判で無罪」になった人だと思うけど、本人は無理でその事件を担当した弁護士を取材しなくてはならない!
そこで「裁判官だけに被告の有利な点を列挙しても無罪にはしてくれなかったかも?一般市民だからこそ検察や組織のしがらみに忖度せず無罪を選んでくれました!」という記事が出ればおkだったと思うのだ!(まああくまで個人の見解です!ww)

記事の中で受刑者が「裁判員が自分と向き合ってくれた」だの「裁判員は真摯に見てくれたので救われた」とか言った感じの情緒的な記事よりも、裁判員によって救われるのは従来の刑事裁判ならあっさり有罪にされた(要は冤罪)と思うが無罪になった者だと思うのだ!
ちなみに僕が裁判員制度に大賛成する理由の一つは「裁判官と検察官」だけのムラ社会の論理だけで(いわゆる密室)行われていた刑事裁判を民間人が参加というか「我々の目にさらされる」ことによって「より公平」というか冤罪のリスクを軽減できそうだからなのだ!
よくよく考えても見れば同じ「法務省村の住人」である裁判官だけを説得して有罪に持ち込もうとするのと「事件ごとに変わる一般人」を説得するのとでは「ハードルの高さ」が違うであろう?(しかも一般人は検察や裁判所の理論やしがらみに対しては理解も忖度も関係ないからね?w)

また従来の裁判では「検面調書」とかいう「調書裁判」の原因とも言われるそれだって裁判員ならば「駅のゴミ箱で拾った夕刊紙」ていどの価値(笑)しか認めず法廷での「やり取り」を重視するかも知れないのだから!(裁判官には「聖書」でも裁判員にとっては拾ったスポーツ紙以下?ww)
まあ地元紙もその程度の話は取材してほしかったんだけどね?(笑)
検察官面前調書 - Wikipedia